want toに生きる ~僕たちは意思があるから困難を設定できる

フランツ・リストのラ・カンパネラという有名な難曲があります。

リストの大きな手で猛スピードで弾きこなす必要があり、大変難しい。世界でも有数の難曲と言われています。それをある漁師のおじさんが弾きこなすと最近テレビでやっていました。

彼は海苔漁師でパチンコが趣味だったそうなのですが、お金も尽きてパチンコに行かなくなり、すっかり暇を持て余していたときにテレビでフジコ・ヘミングの演奏するラ・カンパネラを聴いて衝撃を受けたそうです。「フジコさんの弾くラ・カンパネラは彼女の人生を物語っている。一音一音に魂がこもっている」、そして自分も弾いてみたい、と一念発起したそうです。

ピアノ教師だった奥さんに「絶対無理」と宣告されながら、逆にやってやると発奮し、楽譜が読めないからYoutubeの動画で一音一音確認して指に曲を憶え込ませていったそうです。52歳の時に思い立って6~7年、この6分間の曲を弾くためだけに毎日8時間練習したそうです。奥様に止められてもやり続け、結果的にラ・カンパネラを弾けるようになりました。それがテレビ局に伝わり、最終的にはフジコ・ヘミングの前でラ・カンパネラを弾くという夢まで叶うことになります。

さて、私自身もピアノを習っていましたが、あるピアノの先生がいうには、ピアノの曲が弾けない理由は一つしかないそうです。曰く、

「練習不足」

確かにそうなのです。練習さえすれば、どんな曲も弾けるようになります。たとえリストのカンパネラが難曲であったとしても、この漁師の方が「練習すれば弾ける」ということを証明しています。初学者が初学者用の曲しか弾けないということではないのです。弾けるまで練習する、それだけです。それを諦めているのは私たち自身なのです(誰も諦めろ、なんて言いません)。

同じような話はいくつもあり、確かトルストイの戦争と平和に感銘を受け、70歳からロシア語を勉強し始め、ついに自分で「戦争と平和」を翻訳したという方の話も聞いたことがあります。

こうなると、人間というものは発奮すること、感激すること、何かを自分も成し遂げたいと思うことがまず最初であって、才能などというものはその次なのだと感じます。そもそも本当に才能がなければ実現しない物事はそれほど多いわけではありませんし、努力しない才能ある人間と努力する凡人と比べた場合に、必ずしも才能ある人間が勝つとも限りません。フジコ・ヘミングの演奏が「人生を物語っている」のと同様、私たちは単に綺麗な演奏に感激するわけではないからです。

私たちが目の前に困難や障害を感じるのは、目標や夢があるからです。それを達成したいがために、今の自分では到底越えられないような壁を設定し、絶望します。しかし、その絶望を乗り越え、それでも乗り越えたいと思わせるのもまた、目標であり夢の力なのです。

私はwant toに生きるということをよく言います。have toに逃げてはいけない、want toと向き合わなければいけない、ということです。私たちは究極、自分で自分の毎日を選んでいます。誰かにやれといわれたとしても、最終は自分で決めることができるのです。上司が言ったから、顧客が言ったから、業界がこうだから、景気が悪いから、・・・色々な言い訳は可能ですが、意味がありません。それよりは、今自分が何をしたいのか、何のために何をするのかに集中した方が良いでしょう。

夢を自覚している人は幸いです。そして、夢や目標は次へ次へと展開していきます。自分の夢を更新し、目標を更新し、気づけばこんな遠くまで飛んできた、と思える人生にしたいではありませんか。

前の記事
僕たちは憧れの矢になる!~リーダーの必要性
2020.04.05
次の記事
20-04号:原油、葛藤と野合
2020.04.15
ジャーナルTOPへ戻る