15-08月号:過ぎゆく戦後七十回目の終戦の日

薄れゆく戦争体験

七十年目の夏は特別暑く過ぎ去ろうとしています。八月十四日には安倍首相の談話が発表され、新しい日本の歴史に対する姿勢が示されるかもしれません。七十年という期間を考えれば、明治維新から大東亜戦争までが約七十年、維新の七十年前は松平定信の下で寛政の改革が行われる一方、林子平が『海国兵談』を著してロシア南下による国防の危機を訴えた時期でありました。七十年という期間は、歴史の流れの中でも、国際環境、国内環境ともに変わるのに十分過ぎる時間であります。

戦後に名作と言われた書籍、例えば『夜と霧』、『アンネの日記』、『黒い雨』など、今はどれほど読まれているでしょう。また、たとえ読まれたにせよ、実際に親兄弟を戦争で亡くした、空襲・疎開・防空壕の体験をした、あるいは戦後に路上で隻腕・隻脚の物乞いを見た、等の実体験がある方とそうでない方の感じ方は変わってきます。その実体験を親世代から聞いた人間と、教科書で勉強しただけの人間の感じ方もまた、変わってくるのです。七十年という時間は歴史を客観視させるにも、また風化させるにも十分過ぎる時間であります。


創られる歴史

安倍首相は米国議会での演説において、「日本にとって米国との出会いは民主主義との出会い(our encounter with democracy)でした。」と発言しました。ペリー艦隊による開国要求が砲艦外交ではなく民主主義との出会いであったとのことですが、こうした点がまた、歴史認識が事実とは別にどのように生まれるかを示しています。日本に限らず、歴史というものはその都度主観的に解釈され、歪曲され、都合よく創り上げられ記憶されていくものであるのでしょう。E・H・カーは『歴史とは何か』の中で、「歴史とは過去と現在との終わりのない対話である」と言いました。過去は現在の正当化の為にあるのではなく、現在の在り方に示唆を与えるために我々に与えられた知恵の泉でなくてはなりません。ドイツの名宰相ビスマルクも、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言っています。歴史を繰り返すのが人間の業かもしれませんが、その業を乗り越える叡智を持つのもまた人間であるということを我々は信じ、現実的かつ理想的に歩んでいく必要があります。


「時運ノ趨ク所」~終戦の詔勅

世にいう「終戦の詔勅」の起草は内閣書記官長の迫水さこみず久常が指示を受けました。そこに主として川田瑞穂(早稲田大学教授)や安岡正篤が添削を行ったと言われています。日本の歴史上かつてない、また今後も永久に残る「終戦(=敗戦)の詔勅」の起草に当たっては、「『書けない』と迫水が号泣しておった」(安岡の回想)というほど重く、困難なものでした。

ところで安岡正篤が加筆・修正した終戦の詔勅案ですが、すんなりと閣議の承認は受けられませんでした。安岡は終戦の理由が、刀折れ力尽きて降参するという悲壮なものではなく、将来の日本国民に対して新たな光明・自負を与えるものにしたいとして、二つの言葉を織り込みます。それが「義命の存する所」(春秋左氏伝)と「萬世の為に太平を開く」(張横渠)という二語、すなわち戦争を収める理由として、「道義上の至上命題に基づき」、「将来にわたる全ての国民の為に平和を実現したい」という大理想を格調高く表現したのです。しかし当時の閣議では、「義命」という言葉は聞いたことがないという理由で削除され、「時運の趨く所」という言葉に代えられてしまいます。しかし、時運の趨く所、つまり情勢の移りゆく所という無責任な言葉では「萬世の為に太平を開く」という大理想にはつながりません。結局ラジオを通じて全国民に発せられた昭和天皇のお言葉は、「時運ノ趨ク所、堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」となったわけですが、安岡はこの点を生涯の痛恨事としていました。(関西師友協会編、安岡正篤と終戦の詔勅』、二〇一五年)


そして、今

さて、現在の我々は過去の反省を生かして、今の状況に「義命の存する所」の対処をしているのでしょうか。風の吹くまま、「時運の趨く所」の対処をしているのでしょうか。今の日本が世界に対し、自分たちが将来にわたってどのようにありたいのか、どのように貢献していくべきなのか、貢献していきたいのか、この「終戦の日と」いう節目に一人一人が真剣に考えなければなりません。


編集後記

暑い日が続いています。熱中症にはくれぐれもご注意ください。

「戦争」といったら日本では第二次世界大戦ですが、欧州ではおそらく第一次世界大戦、米国ではベトナム戦争を指すのではないでしょうか。社会にどれほどのインパクトを与えるかで、どのように記憶されるかも変わります。

戦争体験というものは個別具体的で主観的なものです。一人一人に個別の体験があり、個別の真実があります。それが時間と共に抽象的になり、一つの社会的記憶になるのが「歴史」なのかもしれません。

歴史をどう見るか。一人一人が自分なりに向き合っていく必要があります。

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