16-年賀号:干支に学ぶ、丙申

干支(かんし)一考

日本や中国では十二支でお馴染みの干支ですが、本来は動物や占いとは全く関係なく、長い年月をかけて世の中の出来事や変化、推移を統計的・帰納的に六十パターンに分けて結論付けたものです。その意味で東洋の歴史が生んだ経験哲学というべきものかもしれません。

人間の歴史、生命の成長~発展~収縮という「変化のプロセス」を経験的に類型化したということで、ゆえに「干支」、干が「幹」、支は「枝」を表し、合わせて一本の草木であり生命体となります。面白い考え方ではないでしょうか。

例えば干の第一は甲(きのえ)ですが、これは草木が春を迎えて殻を破る、その鱗芽の形です。しかし芽は出たもののまだ寒く、外気の抵抗を受けて真っ直ぐに伸びられない、その図が乙(きのと)という形になります。同様に支の方もそれぞれ生命が分裂、発達して老衰に至る過程が表されていますが、「子・丑・寅・・・」と本来の意味は忘れられているのが実態であります。


丙申(ひのえ・さる)

今年の干支である丙(へい)申(しん)ですが、丙(ひのえ)は「一、冂(囲)、入」を合わせた文字で、甲・乙に続いて陽気が一段と盛んになり、各分野で形になっていく様子を表しています(「一」は「陽」に通じる)。一方、循環の原理から陰気の芽も出てくるようで何らかの停滞、抵抗が生じ始める時期でもあります(囲いに入る)。申は「伸」に同じ、善悪両面において新しい勢力が伸長、結んで「丙申」は、前年の一進一退を乗り越え、物事が積極的に伸長する一方、伸びるほどに次の衰退あるいは反作用の芽が生じてくる、そういう部分に目を配って慎重に事を進めなければならない年と解釈できると思われます。

前回の丙申は一九五六年、経済企画庁が「もはや戦後ではない」と宣言し、日ソ共同宣言を受けて日本は悲願の国連加盟を果たしました。同時に世界ではスエズ動乱やハンガリー動乱など、冷戦下あるいは旧植民地と宗主国間の対立が表面化していきました。その前の丙申は一八九六年、帝国主義が華やかであった時代、日本は日清戦争の勝利を受けて勢いづく一方、ロシアとの対立が表面化してくるタイミングです。


さて、今年の丙申は

今年はどのような年になるでしょうか。昨年は「乙(きのと)」の表す通り、政治・経済共に一進一退の感がありました。大阪都構想の住民投票、東京五輪のエンブレムや新国立競技場の問題などがあった一方、安全保障関連法案が成立を見ました。経済では大企業の賃上げが実施されるも消費に結び付かずアベノミクスの息切れ感が顕著になる中、東芝や旭化成建材など企業倫理に関わる不祥事が噴出したことは記憶に新しいと思います。

今年の政治面では、参院選で自公勢力が拡大する方向に動くでしょう。今回は二〇一〇年選出の議員が改選となりますが、当時は二〇〇九年の民主党勝利を受け、民主党参議院議員が数多く誕生しました。今や民主党は見る影もなく、大幅な議席減は必至となります。

「丙(ひのえ)」の今年は物事が明らかになる、今までウヤムヤにしていた物事が判然としてくるため、善かれ悪しかれ自然と行動的・権力的になってくるはずです。財政問題にせよ、安保問題にせよ、イスラム国や移民、日中韓問題にせよ、支配的勢力を持つ安倍政権の下で実態を明らかにし、具体的な解決策が実行されていくでしょう。

もちろん物事は盛んな時に必ず衰退の兆しを含んでいるものです。来年の干支は丁(てい)酉(ゆう)、丁(ひのと)は陽気が最終段階に進んでいくこと、酉(とり)は「酒」、酒甕の中で醸造、発酵して成熟していくことを表します。陽気がバブルのような一過性の偽りとなるか、また発酵が単なる腐敗となるか、まさに今年の丙(へい)申(しん)の年の振る舞いにかかっています。事業を進める上でも大いに参考にしたいものです。


編集後記

皆様、新年明けましておめでとうございます。

「朝こそ全て」という諺がフランスにあるそうです。朝は常に新鮮で生命に溢れ、みずみずしく新鮮である、その朝こそ一日の全てであり真剣に生きよという意味でしょう。お節料理で海老を召し上がった方も多いと思いますが、海老もまた、生きている限り無限に殻を脱ぎ捨て成長を続けます。常に進化発展する、その生命力溢れるみずみずしさが芽出度いのです。

さて、一年の計は元旦、朝は一月であります。節目というものは良いもので、心機一転して切り替えることができます。今年も益々頑張ります。

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