没後一五〇年
「私の苗字(ABE)ですが、『エイブ』ではありません」―――これは、安倍首相が昨年四月に米国連邦議会における演説で披露した冗談ですが、このエイブというのは、奴隷解放宣言で有名な米国大統領エイブラハム・リンカーンのことを指しています。この演説自体は、リンカーンを引き合いに出すことで米国の南北戦争を想起させ、太平洋戦争で戦った日米も同様に、未来に向けて手を取り合って進んでいこうという思いを込めたものでした。
「人民の、人民による、人民のための政治」という名演説を残したリンカーンは南北戦争終了直後、劇場で凶弾に倒れます(一八六五年四月一五日)。昨年四月はリンカーン没後一五〇周年の節目でもあり、米国人にとっては確かに感慨深いものだったと思われます。
神の意思の表れ
南北戦争の直接的な原因は、奴隷制に反対する北部州(自由州)に対し、南部州(奴隷州)がそれなら、と分離独立を望んだことにあります。
リンカーンの立場は明確でした。合衆国建国の精神は「人間の平等」であり、その観点から奴隷制は根本的に不正義です。かといって、それでは南北に分裂して北部だけ自由平等だと言ってもそれ自体が欺瞞(ぎまん)になりましょう。また、そもそも合衆国憲法上、州の自主権を侵すこともできませんでした。従って「奴隷制は、現存する奴隷州には許容される。しかし新規に採用・拡大することは許されない」。そして、このように封じ込めを続けていけば、奴隷州においても(それが根本的に不正義である以上、)奴隷制は徐々に消滅していくであろう。全廃という急激な変化によって社会不安を招くよりも、漸進的な変化の方が全ての当事者にとって好ましい、というのがリンカーンの政治的信条でした。
しかし結果的にリンカーンは奴隷解放宣言という急進的な施策に踏みきることになります。これは戦争中に脱走してきた南部奴隷の取扱いが原因でした。奴隷州の現行制度に干渉せずという立場からは、脱走奴隷を旧所有者に返還する必要がありますし、そもそも大統領と雖(いえど)も「私有財産」である奴隷を解放する権限などありませんでした。しかし、人道上そのような不条理なことはできず、結局、戦時における軍隊の最高司令官という立場で、軍事上の非常手段として奴隷解放令の発布を行うことになったのでした。
南北戦争自体、米国史上最大の犠牲者を出した戦争ですが、当初誰も予想しない大戦争となり、また(リンカーン本人を含め)誰も予想しなかった奴隷制全廃という結果をもたらしました。そこにリンカーンは南北両軍の意図を超えたところの、神の働きを認めたといいます。
運命を拓く
リンカーンは当初の意図に反する奴隷解放宣言を行ったことで歴史上に不朽の名を残しました。「運命」というものは、歴史全体からみれば決定論的、宿命的かもしれませんが、それを行う人間からみれば努力的、立命的であるように思います。リンカーン自身は奴隷解放を自分が成した功績とは考えなかったようですが(「事件が私を支配した」)、やはり彼が生涯努力し、悩み抜き、真摯に人事を尽くしたからこそ切り拓けた結果であると感じるのです。マックス・ウェーバーは、政治とは「固い板に、錐(きり)で、すこしづつ穴をあけていくような情熱と見識を必要とする力強い緩慢な仕事である」と指摘しましたが(『職業としての政治』)、まさにリンカーンはそのような政治家でありました。
さて、日本のABEが直面する政治情勢もまた複雑に絡まり合い紛糾しています。国内のみならず海外の諸問題は益々関連を強め、容易に解を与えません。是非善悪の区別を明らかにし、国民が信を置くに値する切実な努力の上にこそ、現実を切り拓く天意は下るのでしょう。
「彼(=リンカーン)の一貫したる真実にして平明なる政治的原則の把握と、その原則を遂行するについて信頼し得べき彼の性格とがなかったならば、時局は混迷して帰するところを知らなかったに相違ありません。勢いをつくるのは社会であるが、それに明確なる形と方向とを与えるのは政治家の任務です。この意味で政治の貧困は人物の貧困であると言わねば」ならないのは、現代日本も全く同様であります。(矢内原忠雄『余の尊敬する人物』)
編集後記
米国大統領選が白熱して参りました。一人の政治家の登場で歴史が変わることもあり、リンカーンの命日である四月十五日を思い出と共に振り返りました。
「政治の貧困は人物の貧困である」というのはどの国、どの時代でも同じですが、その政治家を我々国民が選んでいると考えれば、政治の貧困はすなわち国民の民度の問題であります。日本の参議院選にも力が入ります。
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