内外価格差、四~五倍
世間では既に冬に向けてクリスマスを意識した動きが始まりました。クリスマスにはケーキが欠かせませんが、ここ数年、毎年ケーキに使うバターが不足しているとニュースになっています。
実は世界のバター価格は国内と比べて四分の一から五分の一で推移しており、そこに酪農に対する日本の強い保護政策が見て取れます。この農政の是非については酪農家の人口減少や酪農自体の経営難など様々に言われますが、事情はそれほど単純ではありません。
酪農経営の実情
飼料を殆ど輸入に頼っている実態からは、もはやアメリカ産トウモロコシの加工業ともいえる日本の酪農ですが、その収益は牛乳、飼料、副産物としての子牛の価格などに左右されます。あまり知られていませんが、ホルスタインが牛乳を出すためには妊娠する必要がありますので、必ず副産物として子牛が生まれ、雄牛だった場合は「国産牛」として売却することになります。この子牛が大きな収入源でもあるわけですが、九〇年代の牛肉自由化を受けて価格が下落、酪農家は価格の高い「和牛」と人工授精させることで肉質を上げ差別化を図ってきました。(もっとも、最近では予め雌雄が分かっている性選別精液を用いることも多くなっています)
昭和五十年に十六万個だった酪農家の戸数は現在では一万七千戸(二〇一六年)と十分の一に減っていますが、生産される生乳量は同期間で五百万トンから七百四十万トンと増加しており、酪農家の大規模化と淘汰が進んでいます。また、飼料を輸入している関係で為替リスクを負うとはいえ、コメ農家が収入の殆どを農業外収入(兼業)と年金に依存しているのに比べ、酪農家は収入の八十五%を農業収入で賄っており、平均収入も一千万円程度(九七四万円、二〇一四年)と比較的高くなっています。酪農家の戸数減や経営難というものはメディアで言われているほど生乳生産量に影響しているわけではありません。
一物多価の弊害
生乳は飲用、バター、脱脂粉乳、生クリーム、チーズなどの用途向けに価格が異なる一物多価の制度をとっています。元々は飲用水準の生乳が取れなかった北海道の酪農家を保護する制度(別途補給金を支給)でありましたが、今となってはこの制度が逆に全体を歪(いびつ)にする要因となっています。
生乳から水分を除くと、脂肪分と脂肪以外の無脂乳固形分(たんぱく質や糖分)が残り、この脂肪分からバターが、無脂乳固形分から脱脂粉乳が作られます。このバターと脱脂粉乳に水を加えるとまた牛乳(還元乳)となりますが、原料乳が飲用の生乳よりも安いせいで還元乳は飲用牛乳の価格を引き下げてしまいます。従って酪農家は還元乳ができないよう、バターと脱脂粉乳の需要が少ない方に合わせた生乳生産をすることになります。雪印乳業による脱脂粉乳食中毒事件(二〇〇〇年)以降、脱脂粉乳の需要は減っていますので、いきおいバターは脱脂粉乳の需要に合わせた生産にならざるをえません。ここにバターがそもそも不足する原因があります。
バター輸入の国家管理と政治的思惑
加えて、バターの輸入は農林水産省の指示を受け、農畜産業振興機構(アリク、alic)が一元的・独占的に管理しています。輸入量を増やせば国内の牛乳・乳製品価格が下がりますから、酪農団体の意向を受けたこの機関はなかなか輸入を増やさないのが実態です。
ではなぜここ数年、突然バターが不足したのでしょうか。ここでは民主党から自民党への政権交代(二〇一二年末)を指摘する声があります。自民党には酪政会という日本酪農政治連盟とつながる議員の会合があり、酪農家の団体と歴史的にタイアップしています。民主党にはそんな組織はないので、民主党政権下では農水省もそれほど気にせず輸入できたという理屈です。この筋に従えば、今年のバターも昨年同様不足し、国内価格も高止まりするでしょう。
実はTPP交渉ではアリクという組織による輸入独占自体が非関税障壁ではないかという指摘もありました。しかしアリクによる官僚的な管理だからこそ輸入元のシェアが毎年殆ど変わっておらず(米国、カナダ、豪州)、実は米国の国益にかなっているという見解から見逃されたという経緯があります。牛乳をめぐる政治的野合はまさに複雑、そして消費者からは遠いところにいます。
編集後記
築地移転の問題が紛糾していますが、多くの部分において政治的思惑が先行しており消費者やそこで働く人々の視点が不足していると感じます。
今回はここ数年、年末になると話題になるバター不足の問題を取り扱いました。改めて調べてみるとイメージと異なる点も多く、自分で情報を取りに行き理解しようとする態度の大切さを思います。
世界のどの国でも国内産業の保護は大きな課題でありますが、目先の利益と長期的な競争力強化とでは政策が必然的に異なります。今の日本にはポピュリズムに迎合しない視座の高い政治判断が求められています。