大富豪の孫
「両親の家は、まったく質素というわけでもなかった。当時のニューヨーク市の私邸としては最も高い九階建てで、屋上には囲い付きの遊技場、階下には、スカッシュ・コート、屋内体操場、専属診療所があった。その診療所が私の生まれた場所であり、はしかやおたふく風邪などの伝染病にかかった家族はそこで診察を受けた。二階の音楽室には、パイプオルガンや大きなピアノが備えられている。両親はここで著名な芸術家たちのリサイタルを主催した。」
この溜め息の出そうなほど優雅な思い出の描写は石油王ロックフェラーの孫であり、四代目ロックフェラー家当主のデイビッド・ロックフェラーの回想録に書かれたものです(『ロックフェラー回顧録』)。彼自身はチェース・マンハッタン・コーポレーション(現JPモルガン・チェース)の最高責任者を務め、ニューヨーク近代美術館への寄付などでも知られましたが、この三月二十日、百一歳で亡くなりました。
初代ロックフェラーのスタンダード・オイル社は反トラスト法の下で分割されましたが、今でもエクソンモービルやシェブロン、アモコ(現在はブリティッシュ・ペトロリアムと合併)など、その系列は世界に大きな影響を持っています。一九七五年には昭和天皇がロックフェラー邸を訪れたこともあり(民間人として唯一)、日本ともひとかたならぬ関係があるといえるでしょう。
ソニー・盛田昭夫
デイビッド・ロックフェラーと日本の実業界との関係では、例えば銀行家として新生銀行の社外取締役を務めるなどもありますが、有名なところではソニー創業者の盛田昭夫氏と懇意であったことでしょう。真珠湾攻撃五〇周年直前の一九九一年に「真珠湾を越えて(Beyond Pearl Harbor)」という企画を読売新聞が行った際、日米両国の代表的人物で、また日米関係に深く関係した人物として盛田-ロックフェラー対談が持たれました。それはロックフェラー氏の自宅で開催され、『二十一世紀に向けて』と題された本で今でも読むことができます。
陰謀説
ロックフェラーといえば、ロスチャイルド家と並んで世界の陰謀説の代表のように取り扱われます(世界を裏で牛耳ろうとしている、といった類)。しかし多くの都市伝説と同じく、この類いの陰謀説を聞いて常に感じることは次のゲーテの言葉のようなものです。
「友よ、こんなささいな事件にかかわってみても、いつもながら経験することだが、世の中のいざこざの因(もと)になるのは、奸(かん)策(さく)や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね。すくなくとも、前の二つのほうがまれなことはたしかだ。」(『若きウェルテルの悩み』、竹山道雄訳)
世の中に様々な不条理があるとしても、それは陰謀が原因ではなく自然の結果であり、その構造に対する理解不足が不満を生み出しています。世界の富が上位一%に偏っているとしても、それは搾取や陰謀ではなく数学的帰結です(富は大きい方が効率的に膨らんでいきます。もし富が公平に分配されているとすれば、それこそ人為的な力が働いていると考えるべきでしょう)。陰謀や悪意が存在しないとは思いませんが、全てを陰謀で済ますのは思考停止以外の何物でもないはずです。
デイビッド・ロックフェラーは常に陰謀説の中心に存在し、米国の国益に反する秘密結社に所属し、よりグローバルで統合的な世界を実現しようと企んでいるといわれてきました。そのような前置きを置いた後、彼は以下のような告白をします。
「もし、それが罪であるならば、わたしは有罪であり、それを誇りに思う。」(『ロックフェラー回顧録』))
財閥の長という存在は必ずしも幸福とは限りません。背負いきれないほどの富と社会的責任を抱えながら、世間の好奇と反感の目に晒されつつ、自分がいかにあるべきかを問い続け、努力し続ける、それは言うほど簡単なことではないでしょう。
「反ロックフェラーという共通点しかないこれらの政治的立場の存在は、ポピュリズムに負うところが大きい。“ポピュリスト”は陰謀の存在を信じている。」
米国のトランプ現象を始め、世界にポピュリズムの波が押し寄せる中、去りゆく財閥の長は何を感じていたのでしょうか。世の中をお手軽に単純化してしまうポピュリズムは、現実から目を背けた思考停止に過ぎません。
編集後記
三寒四温と申しますが、徐々に春めいてまいりました。異動や昇進等、変化のある季節かと思います。
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今月はロックフェラーを扱いました。ハーバード大学を卒業し、シカゴ大学で博士号を取得、シュンペーターやハイエクなど錚々(そうそう)たる経済学者に学んだ銀行家ですが、二〇一四年にはご子息に先立たれる(飛行機事故)など不幸もあった人物です。
デイビッド・ロックフェラーの死がポピュリズムの台頭と偶然にも重なり、時代の変化を象徴するようにも感じます。ご冥福をお祈り申し上げます。