18-01号:西郷、破壊と創造

命もいらず、名もいらず

「命もいらず、名もいらず、位も金も要らぬいらぬ人は、仕末(しまつ)に困るもの也。此の仕末(しまつ)に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」(西郷南洲遺訓)

今年のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」、西郷隆盛が主人公です。今年は明治維新一五〇周年、ある意味で徳川の時代から一五〇年しか経っていないことに驚きすら覚えます。

今でも西郷ファンは多いのではないでしょうか。奄美大島や沖永(おきのえ)良部(らぶ)島への流罪など、幾多の艱難を乗り越え、「至誠の人」そのままに新日本建設の立役者となったその姿は、多くの日本人の心を惹きつけてきました。


「倒す」と「創る」の違い

西郷が活躍した時期は維新前後の十年ほどで、それほど長くありません。そもそも桜田門外の変(一八六〇年)からたった八年で幕府は倒れてしまいますが、二〇人に満たない水戸藩士に武家政権のトップが(江戸城の門前で)殺害されるという事態に、「幕府は倒しうる」という洞察を得たのが、高杉晋作や大久保利通、そして西郷隆盛でした。桜田門外の変を変曲点として討幕の火は瞬く間に燃え広がり、時代を大きく動かしていったのは歴史の示すところでしょう。

一方で重要なことは、「幕府は倒しうる」という洞察は、「幕府を倒した後、どうすべきなのか」は教えてくれないということでした。アラブの春よろしく、討幕後の明治政府が行ったことは、基本的に旧体制の否定であり、具体的なビジョンを提示したわけではありません。この明治政府が瓦解(がかい)せずに近代国家への道を歩み始めたのは、ひとえに明治四年(一八七一年)の岩倉使節団にありました。これは革命政権の中心人物約五〇名が二年にわたって欧米十二ヵ国を歴訪するという世界史上、他に例を見ない試みですが、ここで彼らが目撃した欧米は想像を遥かに超えていました。東海道を歩いて往復していた人々が汽車に乗り、ガス灯で輝く夜の町を見、江戸城よりも高い建物に庶民が住んでいるという事実を目の当たりにしたのです。このあまりに大きな衝撃を受けて初めて、「欧化政策による富国強兵」という道、すなわち「なりふりかまわず欧米の真似をしない限り、日本は生き残れない」という危機感が共有されました。ここから本当の「明治」が始まったといってよいでしょう。

西郷の不幸は、この使節団に加わらず、留守番役の責任を負っていたことです。欧米を目の当たりにしていない彼が、「富国強兵」を理解できないのもやむを得ませんでした。帰任した同志たちが、人が変わったように殖産興業に邁進し、三井や三菱といった財閥育成に公金を使い、鹿鳴館で欧化政策を推進する姿を見て、歴史に繰り返される「権力の腐敗」そのものに見えたことは想像に難くないでしょう。財閥育成に熱心であった井上馨に対し、西郷は「あなたは三井の番頭か」と言ったといいます。


百聞は一見に如かず

当時は蘭学もありましたが、学問で学ぶのと実際に体験するのでは天と地ほども違います。冒頭の西郷南洲語録を筆記した庄内藩士に西郷は、「これからは文武農だ」と伝えています。商工業や金融という観点は西郷の頭にはありませんでした。

時代の流れを読むことはかように難しいものです。西郷なかりせば維新は成立していなかったであろうことは確かですが、その西郷であっても時代の流れを読み切ることはできませんでした。

翻って今日、私たちはどのような時代を生きているのでしょうか。時代の流れを読み切るまではいかないまでも、様々な変化をとらえ、積極的に自分の五感を使って最先端を体験する必要はあるでしょう。二〇一七年は世界的にポピュリズムや保護主義、政権の独裁化が進み、その世界的分断の中、間隙を縫って中国の政治的・経済的躍進が進んだ年でした。

「明治維新」も当初からそう呼ばれたわけではなく、様々な人物が右往左往しながら時代を創った結果、後から振り返ると「あれは明治維新と呼べるものだった」という事後認識に過ぎません。私たちは一人一人が今の時代を動かしています。それぞれが時代を読む精一杯の努力を行い、変化を体感し、そして理想をもって行動していかねばなりません。


編集後記

日本人にとっての「明治」のイメージを作ったのは司馬遼太郎でしょう。『竜馬が行く』や『坂の上の雲』は多くの人の愛読書となっています。

一方で昨年から明治を相対的に捉え直す雰囲気があるように感じます。歴史は強者が作るもの、当事者を客観的に捉えようとする動き自体は好ましいものと思います。

今回は新年に際し、西郷隆盛を通じて激動の時代の難しさを考えました。あれほどの器量人に正しい現状認識が加わっていれば、また明治という時代も変わったのかもしれません。人の生き方と時代の流れは相通じ、また相反し、誠に難しいものです。

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