知性的なるもの
「地球上に『知的生命』と呼ぶに値するものなど存在するのですか?」
これは「車椅子の物理学者」と呼ばれたスティーブン・ホーキング博士が「地球外の知的生命体の存在についてどう思うか」と聞かれたインタビューに対して発した逆質問です。三月十四日に七十六歳で永眠したこの天才物理学者は以前から地球外生命体の存在を前提に、それが友好的か分からない以上関わってはいけないと警鐘を鳴らしてきました。近年はAI(人工知能)に関する警鐘も発しており、「人工知能の完成は、人類の終焉を意味する」と言っています。人工知能が人間を超える、いわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」について不安や恐れを抱く人は多いでしょう。
人工知能というと、どうしてもドラえもんかターミネーターかといった両極端なイメージを持ちがちです。ただ、人工知能が本当に意思を持つようになるためにはまだまだ技術的未解決の問題が多く、その実現は難しいのが実態です。現状では機械学習のような広い意味での「人工知能」によって人間の作業的な仕事を代替するような使われ方をしていくという捉え方が実際的でしょう。
既に人間が不要な分野も
グーグルのディープマインド社が開発した「アルファ碁」は、人間の教師データを読み込み深層学習を繰り返すことで当時囲碁の世界一であった李世乭(イセドル)に勝利しました。その後開発は進み、生まれて三日でアルファ碁に勝ったアルファ碁ゼロ(AlphaGo-Zero)へ、そして現在は囲碁・将棋・チェス全ての分野において世界一となったアルファゼロ(AlphaZero)へと進化しています。アルファ碁ゼロ以降で特筆すべき点は、人間の教師データを読み込ませていないということで、もはや人間による教師データすら不要という世界が現実化しています。シンギュラリティという議論は最近行いませんが、様々な分野で同時並行的、五月雨式に起こっていくものだと思われます。
遺伝的アルゴリズム
数学的に考えれば、現実世界に起きうる全ての可能性を踏まえた判断は計算量が爆発してしまうため、機械には人間的な意思決定は困難という結論になるでしょう(フレーム問題)。しかし、実際に今のコンピュータは囲碁のような計算量が膨大なゲームで人間に勝ち続けています(囲碁の変化の数は宇宙に存在する原子の数を超えます)。何故か?これは人工知能が数学的ではなく経験的なアプローチを採用しているからです。可能性を総当たりで潰すのではなく、とにかく近似値を狙って範囲を狭め最適解に近いものを見出していくという現実的なアプローチを採るからこそ、数学的な理論的限界をバイパスすることが可能になるのです。
このアプローチは、人間の進化そのものです(だからこそ遺伝的アルゴリズムと呼ばれます)。生命も長い歴史の中で失敗や成功を繰り返し、結果として生き残ってきています。フグの毒で死んだ人間は沢山いるでしょうが、それが人類を滅亡させることはありませんでした。今の人工知能の深層学習は、進化による学習のアプローチを高速で行っているのです。
「知性」の議論に意味はあるか?
人工知能脅威論は根強くあります。一方、完全にシンギュラリティを迎えたと思われる将棋の世界では、もう古いと思われていた昔の手法(雁木など)が見直され、急速な盛り上がりを見せています。多くのプロ棋士が人工知能から学び、人工知能のお陰で将棋の世界は明らかに豊かになっているのです。
思えば私たち人間の中にもIQ(知能指数)が200を超える人もいればそうでない人も存在し、お互いが補完しあいながら問題なく生活しています。意思を持つかどうかは別にして、そういう高度なIQを持った存在から学ぶことも多く、人工知能による「知性」を過度に恐れることはないのかもしれません。また、冒頭のホーキング博士のジョークのように、人間の知性そのものに疑義があるのもまた事実なのです。
ホーキング博士は「足元を見るのではなく、星を見上げること」と言いました。「人生はできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」。それは人工知能との関係でも同じなのです。
編集後記
桜が一斉に開花を始めました。年度末でお忙しい方も多いものと思います。
今月は十四日にホーキング博士が逝去された関係もあり(『ホーキング、宇宙を語る』は懐かしい書籍です)、進展目覚ましい人工知能をテーマとして扱いました。「人工知能」という言葉は定義が曖昧ですが、本文ではかなり緩やかに広い意味で使用しています。
日本はこの分野で完全に出遅れましたので、企業としては今後いかに上手く使っていくかに注力する必要があります。携帯電話の仕組みを知らなくとも携帯電話は使えます。人工知能もとにかく試してみることが重要でしょう。