家業から産業へ
2022年5月20日、イオン(元・岡田屋呉服店)名誉顧問であった小嶋千鶴子氏が老衰のため死去されました(享年106歳)。仕事を引退してからは三重県の菰野町で陶芸などをして暮らしておられましたが、近年『イオンを創った女』(東海友和)などで再度注目を浴びました。早くに両親と姉を亡くした小嶋は大学入学を断念し、二三歳で岡田屋呉服店の代表取締役に就任、その後弟の卓也氏に立場を譲ったのち、主に人事畑で会社を支えました。
戦後世代の小売業・流通業はダイエーの中内氏にせよ、イオンの小嶋にせよ、今まで八百屋・魚屋であった「家業」としての小売りをなんとか「近代的企業」へ育て、そして「産業」へと育て上げたいという熱烈な思いがありました。戦争での配給社会を経験する中、自由にものを流通させることを生業とする小売業は「平和の産業である」とダイエーの中内氏は話していますが、昨今のウクライナ紛争に伴う世界の食糧価格の高騰はまさにそれを表していると言えるでしょう。そして流通はグローバル経済の中でより複雑な形態となり、世界の緊密性を示しています。
歴史の教訓と実践力
小嶋のエピソードは数多くありますが、特に印象的であるのは、戦後に新円切り替え、預金封鎖を予測し、現金すべてを商品に変えたという話です。よく歴史を学んでいた小嶋は、同時に実践家でもありました。
戦争中、ドイツにおけるハイパーインフレーション(一九二三年)の状況を知り、小嶋は衝撃を受けます。ドイツでは第一次世界大戦の戦費負担に加え、敗戦に伴う巨額の賠償金を賄うため通貨を濫発、結果として貨幣価値が下落し、マルクは戦時中に比べ一兆分の一の価値になってしまいました。
「日本ももし敗戦になれば必ずインフレがやってくる。その後には通貨の改革が避けて通れないことを、予測させるものだった。間もなく終戦をむかえ、その本を読んでいたことが脳裏に浮かび、昭和二十一年の新円・旧円切り替えのときには、あるだけの現金を集めて商品に変えた。また預金封鎖の後も、その封鎖預金を担保にして銀行から融資を受け、それでまた商品を仕入れることができた。」(『イオンを創った女』)
当時のドイツの状況は誰もが知っていたわけですが、このように自国でのインフレを予見して現金を商品に全量変えるという行為に出られる人間が何人いるでしょうか。小嶋は「正しい情報と果敢な実行」と言っていますが、ここに戦争を経た人間の強さとともに、小嶋自身の胆力の大きさを感じます。我々は今、歴史をしっかり学んでいるのか、米中関係やウクライナ問題を見るにつけ、企業人としての判断力を問われているように思います。
人間維新
小嶋は岡田屋からジャスコ(イオンの前身)に至る五十年の人生は、自分自身との戦いであったと述懐しています。「一人が自分自身を変えることで、組織が変わり、そして会社が変わる。自分たちの会社を、今後どうしていくかということは、自分自身をどうしていくかということと全く同一のことである」。会社を発展させるためには、自分を発展・変革させなければならない。まさに人間は日々是(これ)新たに、維新していかねばならないというのが小嶋の考えで、晩年まで勉強を辞めることはありませんでした。一方、九七年に著書『あしあと』を記したとき、ジャスコは発足後まだ三十年に満たないが、「創業時のあの溌溂さが今では薄らいできている。守成のときになりつつある」と嘆じています。もう一度、根本から壊して、新しい創業をしなければならないのではないか、その危機感もまた小嶋の偽らざる実感でした。
さて、戦後の焼け野原から復興を果たし、高度経済成長を経て世界第二位の経済大国になるという、最もダイナミックな経験をした諸先輩たちが次第に鬼籍に入っていきます。先人たちの経験に学ぶことは過去を追体験し、自らの事業観を厚く豊かにしていくでしょう。小嶋は『あしあと』再版に際し、「簡単なことが一番むつかしくそして努力のいることなのである」と書いていますが、過去と向き合い、先人たちの夢のその先へと、我々は進んでいかねばなりません。
編集後記
途切れてしまっていたニュースレターを再開します。
今回はイオンの立役者、小嶋千鶴子さんを採り上げました。私自身三重県出身で、イオンとは浅からぬ縁を感じます。本文で紹介した『あしあと』はイオングループ社員向けの非売品ですが、メルカリなどに出ていることもあり、興味のある方は是非お手に取って見てください。
小嶋は長く人事で活躍し、「改革をするのは人間である。人間をつくるのが人事である」と言っています。弊社も人材育成を業とする会社であり、社会の改革を担う企業であると信じ、日々誰よりも研鑽を積む企業でありたいと思います。