スタッフからなぜマインドシーズはマインドシーズなのかと質問を受けたので、今更・・・と思いながら、ここで解説しておこうと思います。
もともと人材育成に興味があった私ですが、マインドシーズという言葉は直接的には「告別のロンデル」というフランスの詩が元になっています。
Rondel de l’adieu 告別のロンデル(さよならの詩)
Partir, c’est mourir un peu, 出立とは、少しばかり死ぬこと
C’est mourir à ce qu’on aime : それは愛する者に対する死
On laisse un peu de soi-même 人は自分を少し残していく
En toute heure et dans tout lieu. すべての時間、すべての場所に
作者はエドモン・アロクール(Edmond Haraucourt)、日本では冒頭を「出立とは、そこはかとなく死に似たり」と訳されることが多いのですが、これは誤訳です。死に少し似ているのではく、ここでは少し死ぬことなのです。私のフランス語の先生の一人だったアテネフランセの故・金子京子先生がよく口ずさんでいました。
C'est toujours le deuil d'un vœu, それは常に夢の終わり
Le dernier vers d'un poème ; 詩の最後の行
Partir, c'est mourir un peu, 出立とは、少しばかり死ぬこと
C'est mourir à ce qu'on aime. 愛する者に対する死
Et l'on part, et c'est un jeu, そして人は往く、それは戯れにすぎない
Et jusqu'à l'adieu suprême 本当の死に至るまで
C'est son âme que l'on sème, 人は自分の魂を蒔いていくのだ
Que l'on sème à chaque adieu : 別れのたびに蒔いていくのだ
Partir, c'est mourir un peu… 出立とは、少しばかり死ぬこと
Partir, c'est mourir un peu… 出立とは、少しばかり死ぬこと
「マインドシーズ」はここの「自分の魂を蒔いていくのだ」から言葉をもらいました。出会いは一瞬の出会いにすぎず、我々ができるのはその人の魂に種をまくことだけでしょう。自分のコピーを作りたいわけでもありません。その人の魂と自分の魂がぶつかって、新しい芽吹きがあればよい、それが社会を発展させていき、人類を向上させていくはずです。
どこで読んだ話だったか、明治期にフランスに留学したいという学生が、面識もない財閥の長に費用の無心に行きます。その財閥の長は(岩崎家だったと思うのですが)、その初めて会った青年に対し、
「将来、私と反対の立場に立ってもらって構わない。しっかり勉強し、日本のためになる人物になりなさい」
と言って支援をしたそうです。私も自社のスタッフの皆さんには常にこのことを伝えており、「会社のためではなく自分のために勉強してください。そして、私と反対の立場に立ってもらってもよい。ただし、社会のためになる人間になってください」と申し上げています。
マインドシーズの社是は「一燈照隅」です。
一つの燈りが隅を照らし、それが多く集まれば国全体を照らしていくでしょう。人材育成という仕事は地道な作業ですし、いつその効果が表れるともしれません。しかし国家百年の計は教育にあるのであって、国の教化が民度を上げ、醇風美俗を作っていくのだと信じています。
なお、中国清朝の石天基が著した「伝家宝」、そこの「家宝連瑾」には
「心を種(う)えて産業と為す、由来皆美宅良田なり」
とあります。これもまた「マインドシーズ」のよい注釈になるでしょう。
産業の根底には心という種を蒔いておかなくてはなりません。それぞれの産業が心というものから育ってきたときに初めて良田となり美宅となっていきます。
「マインドシーズ」は心に火をつけることを重視します。自分の人生を自分で切り拓いていく志というものを大切にしています。知識やスキルというのは有用ではあっても従属的なものにすぎないのです。