「光の教会」などで有名な建築家の安藤忠雄は、大学での専門的な建築教育は受けずに、建築事務所でのアルバイトと独学で建築士になった異色の人間です。
もともとプロボクサーだったのですが、ファイティング原田の練習風景を見て圧倒され、即座にボクシングは辞めたと述懐しています(安藤忠雄『建築家 安藤忠雄』、p.39)。
安藤忠雄source:flickr: Tadao Ando(CC BY-SA 2.0)
その後、モノ作りに惹かれ建築家への道を進んでいく安藤ですが、24歳の時海外渡航が自由化されると、すぐさま渡欧を決めます。観光用のガイドブックもなく、もちろん周りに海外経験者などいない時代、1ドル360円の時代の海外渡航です。
そうした不安以上に、未知の西欧への好奇心の方が強かった。
私たちの世代にとって、建築の歴史とはすなわち、ギリシャ、ローマの古典から近代建築に至る西欧建築の歴史である。
写真で見る西欧建築には、細部にこだわり、自然と一体化する日本の建築にはない、力強さがあるように思えた。
その強さが何なのかを、その場所に行って、自分の目で確かめたかった。
安藤忠雄『建築家 安藤忠雄』、p.52
横浜港からモスクワに入り、欧州を横断してスペインへ、そしてマルセイユから南アフリカのケープタウン経由でインド、フィリピン、そして帰国という7か月余りの旅程でした。
そこで安藤は様々な現地での体験をするとともに、私淑するル・コルビュジエの作品も数多く見ています。コルビュジエ本人に会いたいという願いはかなわず、安藤がパリに付く数週間前にコルビュジエは他界していましたが、その経験も含めて、安藤の一生を決める大きな経験になります。
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抽象的な言葉として知っていることと、それを実体験として知っていることでは、同じ知識でも、その深さは全く異なる。
この旅で、私は生まれて初めて、地平線と水平線を見た。
ハバフロスクからモスクワまでシベリア鉄道に乗って150時間、車窓から覗いた延々と変わらない平原の風景。
インド洋を進む船の上で体験した、四週どこまでも海しか見えない空間。
現在のようなジェット機での移動では、あんな風に地球の姿を体感する感動は得られないだろう。
最後に立ち寄ったインドでは、異様な匂いと強烈な太陽の下、人間の生と死が混在しているさまに、人生観が変わるほどの衝撃を受けた。
ガンジス川で沐浴する人々のすぐ横を、荼毘に付された死体が流れていく。自分という存在がいかにちっぽけなものかを思い知らされた。
生きるとはどういうことか―――。
渡欧の決心を告げた時、祖母は「お金は蓄えるものではない。自分の身体にきちんと生かして使ってこそ価値のあるものだ」
と力強い言葉で、気持ちよく送り出してくれた。
以後、自分の事務所を開設するまでの4年間、お金が貯まると旅に出て、世界を歩いて廻った。
祖母の言葉通り、20代での旅の記憶は、私の人生にとって、かけがえのない財産になった。
安藤忠雄『建築家 安藤忠雄』、pp.56-57
「人間界のすべての法則は、体験によって、その最後の磨きをかけられる。」とは下村湖人の言葉です。(下村湖人『青年の思索のために』、p.147)
自ら体験すること。現地の香りを嗅ぐこと。それもまた自分の決断です。一歩を踏み出すには勇気が必要です。しかしその経験こそが自分の感性を研ぎ澄ませ、人生を豊かにしていくはずです。
最近しきりに言われる「主体性」という言葉に違和感を持つ人もいるかもしれません。それは自分で考え、自分で決断していくプロセスで、体力を使うものです。他人を巻き込むことに勇気も必要でしょう。しかし、動いてみないと分からないことがあります。
一歩踏み出す勇気、自分で動いてみる勇気。周りがどうあれ、自分が動くということを意識していきましょう!