大きな理想を掲げた。しかし、実現できなかった。それなら、その挑戦には意味がなかったのでしょうか。経営者や人事の皆さんにとって、これは自分の生き方の問題であると同時に、他人の挑戦をどう評価するかという、日々の仕事の問題でもあります。
「結果がすべて」と言えば、話は早く終わります。ただ、その結果とは、期初の目標に対する結果だけを意味するのでしょうか。反対に、「挑戦したことに価値がある」で済ませてしまえば、費やした時間や資金、その間に周囲が引き受けた負担は、十分に検討されません。従来の日本ではこのプロセスのみを重視しすぎるきらいもありました。私は、目標の未達と、仕事が生んだ価値を分けて考える必要があると思っています。そのためには、挑戦する側の勇気に加え、評価する側にも、予定になかった成果を見極める力量が必要です。
1.理想に敗れた人を、なぜ今も読むのか
2026年8月の寺子屋(古典)では、『孟子』の公孫丑(こうそんちゅう)篇を読み、参加者の皆さんと意見を交わしました。大国・斉に王道政治の実現を期待した孟子は、結局、その国を去ることになります。仁義に基づいて人々が安心して暮らせる政治を求めながら、その理想は思うように実現しない。私は、斉を去る孟子の辛さに心を打たれます。正しいと思うことを語れる人が、そのまま現実を動かせる人になるとは限らない。その隔たりが、ずいぶん生々しいのです。
去ると決めた孟子は、途中の晝(ちゅう)という土地に三泊します。それを、(去ると決めた割に)グズグズしている、と批判されるのですが、本人に言わせれば、三泊して出発してもまだ早いくらいだった。王が考えを改めれば、自分を呼び戻すはずだと期待していたからです。王が自分を用いるなら、斉だけでなく天下の人々も安らかに暮らせる。孟子は、その可能性を簡単には手放せません。自分の処遇と、実現したい政治が分かち難く結びついています。
もちろん、待ち続ければ実現するという保証はありません。孟子も、やがて去りました。それでも、そこで理想を実現できなかった人の言葉を、私たちは今も読んでいます。王を説得するという仕事は実らなくても、政治の良し悪しを問う言葉は残った。この二つを、同じ成績表の一つの欄で評価することには無理があります。理想を実現できなかったという事実は重い。しかし、それだけで、その人が現実に投げかけた問いの価値までゼロになるわけではないでしょう。
ここから、少し遠くへ行ってみます。戦国時代の思想家と、半導体企業を率いた経営者。時代も仕事も異なりますが、「目標を達成しなかった人を、どう評価するか」という一点で、孟子の話はインテル元CEOのアンドリュー・グローヴにつながります。しかも、そのグローヴが持ち出すのは、半導体の歩留まりでも売上でもなく、コロンブスの航海です。経営の教科書から大西洋へ出ると、見慣れた目標管理の意味が少し変わってきます。
2.目標未達のコロンブスを、あなたは評価できるか
グローヴは『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』で、目標管理の要点を二つの問いにまとめています。どこへ行きたいのか。そして、そこへ向かっていることを、どのような節目で確かめるのか。前者が目標、後者が主要な結果です。今日のOKR(Objectives and Key Results)につながる考え方ですが、同書ではMBO、つまり目標による管理(Management by Objectives)として説明されています。ここで注目したいのは、制度の名称より、目標と途中の確認を何のために使うかという洞察です。同書・第6章
グローヴは、(歴史を説明用に脚色していると考えますが)目標管理の実例としてコロンブスを登場させます。女王の目標をスペインの富の増大、その下でコロンブスが引き受ける目標を東洋への新航路の発見と置く。船をそろえ、乗組員を訓練し、出帆するまでの節目には期限も設けます。しかし、東洋への航路は発見できませんでした。目標は未達です。では、評価はそれで終わりなのでしょうか。グローヴは、アメリカへの到達がスペインに莫大な富をもたらしたことを、別の成果として評価するのです。
そこで彼が言うのは、目標管理は本人が進み具合を測るための道具であり、人の仕事を評価する際の一つの材料だということです。目標外の機会を捨てる部下も、達成率だけで評価を済ませる上司も、仕事の本分を見失ってしまう。目標管理を説く本人が、その目標だけに人の評価を委ねるなとも言っている。私は、ここにグローヴの厳しさを感じます。評価者には、本人の目標設定を越えて、実際に何が生まれたかを判断する仕事が残るからです。
考えてみれば、未知の領域へ進む人に、そこで得られる成果をすべて事前に書かせるのは難しい注文です。理想を具体的な目標にするとき、私たちは、こうすれば望む変化が起こるはずだという仮説を置いています。実際に動けば、その仮説の弱さも、別の可能性も見えてくる。大きな目標を追う価値の一つは、現在の仕事をそのまま続けていたら出会わなかった問題や、人や、機会に出会えることにあるのでしょう。ただし、出会っただけで価値が確定するわけではなく、そこからの判断が問われます。
目標への忠実さが、途中で得た事実を無視する理由になってしまうことがあります。新しい市場を開こうとして、当初の商品は売れなかったものの、顧客の別の切実な困りごとが見えてきた。そのとき「今年の目標には入っていない」と閉じてしまえば、目標は探索を助ける働きを失います。私は、こうした局面で目標を問い直せることまで含めて、仕事の能力だと考えています。最初の計画を守る力だけでは、計画を作った時点の理解を越えられないからです。
3.「成果が出た」で、誰の現実を見落とすのか
ただ、ここに孟子を同席させたら、話はもう一段厄介になりそうです。グローヴの例では、スペインが富を得たことが成果として扱われています。では、航海の先に暮らしていた人々にとってはどうだったのか。国が富んだという評価と、人々がよく生きられるようになったという評価は、同じではありません。これはコロンブスの歴史を一言で裁くための問いではなく、グローヴの例を読んだ私たちが、評価の視野をどこまで広げるかという問いです。
寺子屋でも話題になった斉と燕の話は、この問題をよく表しています。斉は燕を攻め、勝ちました。しかし孟子は、斉の行為を「燕を以て燕を伐つ」と批判します。自分(=斉)も同じような無道な政治をしているのに、相手(=燕)だけを討つことが正当化されるのか。結果的に、燕の人々が反乱を起こし、斉王が孟子に対して深く恥じたと語る場面もあります。軍事的な勝利はあっても、それが望ましい政治を実現したことにはならない。勝った側にも問い返せるところに、孟子の理想の強さがあります。
グローヴからは、設定した目標の外にも成果を見いだす視点を受け取れます。孟子からは、その成果を何によってよいと判断するのかという、さらに深い問いを受け取れます。たとえば、事業の売上が伸びても、そのために顧客への説明が粗くなり、社員の負担が続くなら、何をどこまで成果と呼ぶかを検討しなければなりません。目標達成、事業上の価値、望んでいた組織や社会への変化。それぞれを見たうえで判断することが、理想を掲げた経営者には求められます。
その意味で、理想は判断を難しくします。「売れたからよい」「勝ったからよい」と済ませられなくなるからです。逆に、自分が負けたからといって、勝った側の物差しをすべて受け入れる必要もなくなります。孟子が政治の場で思うように用いられなかったことと、孟子が問うた政治のよしあしは、分けて考えられる。理想には、成功した人に問いを突きつけ、失敗した人にも考え続ける足場を渡す働きがあります。ここに、単なる達成意欲を越えた意味があるように思います。
4.「失敗から学んだ」を、次の決定で証明する
ここまで来ると、「未達にも価値がある」という言葉を使う側の責任も見えてきます。未達の事実を曖昧にしたり、後から都合のよい指標だけを選んだりすれば、グローヴの話は言い訳に変わります。私は、当初の目標に対する結果を残したうえで、予定外に得られた成果を別に確かめるのがよいと思います。その際、誰のどんな問題が分かったのか、それを裏づける事実は何か、次の判断がどう変わるのかまで説明できれば、「学び」は他の人も検討できるものになります。
たとえば、新サービスの有料契約は目標に届かなかったものの、商談を通じて、顧客が本当に困っているのは導入後の運用だと分かったとします。これは仮の例ですが、顧客がそう言っただけなのか、運用支援になら対価を払う意思を示したのかで、判断は変わります。後者にも、実際に提供できるかという次の検証が残ります。失敗した事業を成功と言い換える必要はありません。得られた事実に応じて、次に試すことと、これ以上は続けないことを決めればよいのです。
挑戦を求めた上司にも、そこで仕事が戻ってきます。予想外の機会を追うために目標を変えるのか。何を止め、誰の時間を振り向けるのか。評価や処遇では、未達と新しい貢献をどう扱うのか。その判断を引き受けず、現場にだけ大胆さを求めても、挑戦できる範囲は広がりません。「挑戦しよう」という言葉に、予算や期限、途中で相談すべき条件まで添える。そして、実際に起きたことを確かめ、次の判断に関わり続ける。そこまでが、理念を伝える仕事なのでしょう。
マックス・ウェーバーは『職業としての政治』で、信念に従う心情倫理(Gesinnungsethik)と、予見できる結果を引き受ける責任倫理(Verantwortungsethik)を区別し、終盤では両者が補い合うと論じました。結果を完全に保証できない私たちにも、試す範囲を定め、途中で確かめ、損失や負担を見て方法を変えることはできます。理想を持つからこそ、その実現を託した方法にも厳しくなれる。撤退や目標の変更は、その理想のために限られた力を使い直す判断になり得ます。『職業としての政治』原文
三泊してなお王が変わることを望んだ孟子は、とうとう斉を去りました。それでも、何をよい政治と呼ぶのかという問いまで、その国に置いてきたわけではありません。皆さんがいま評価しようとしている挑戦には、当初の目標だけでは見えない何が残っているでしょうか。そして、その価値を認めるなら、次にどの仕事を任せるでしょうか。理想を追って失敗した経験は、それだけでは無意味とも、立派な成果とも決まりません。その先を考え、選び直す仕事が、私たちの手元に残っています。
理想を抱くことそのものの意味については、関連記事「Boys, be ambitious! ~自ら英雄たる自覚を持て!」でも考えています。今回の、挑戦をどう評価するかという問いとあわせてお読みいただければと思います。


