私は平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである ~教育は凶器である
自分のレベルが上がると見える世界が変わります。よく抽象度を上げるという言い方をしますが、今まで違ってみていたものに普遍性を見出せるようになると、いわゆる「頭が良く」なっていき、応用力がついていきます。会社でも上に立つ人間が全ての業務を知っている必要はありませんし、そんなことは不可能です。ただ、普遍的なマネージメントやリーダーシップというものがあるということです。
ただ、見える世界が変わると、今まで付き合っていた周りの人間と意思疎通が難しくなります。ここに出会いと別れという大きな課題があります。有望なベンチャー企業を起こそうとしている子供に親は「公務員になれ」といいます。「医者か弁護士になれば食うに困らない」という親や教師に対して子供は「そんなものはAIですぐ不要になる」といい、その断絶は容易に埋まりません。私たちは小学校の友達と一生付き合うことは稀で、自分の成長に従ってコミュニティを変えていきます。引き寄せの法則というのは、要するに自分のレベルと同じレベルでしかコミュニケーションが取れないということなのです。逆に言えば自分よりも上のレベルのコミュニティには入れてもらえないですし、大げさでなく、先方の話している意味が分からないということになるでしょう。そして、コミュニティを変えようとすれば、今まで付き合っていた人間は「なんで出ていくんだ」「今まで通り仲良くやっていこうよ」と善意から足を引っ張ります。これが上記の典型的な親や教師の姿です。
マタイによる福音書には以下のようにあります。
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
マタイによる福音書、10:34-36
イエスの教えを受けるということは…